誰かがあなたに腹を立てる、侮辱する–
見守るのだ
もしあなたの中に怒りがこみ上げてきたら、それを見守るのだ
丘の上のものみになるのだ
眺め、眺め、眺め続けるのだ
何を見ることもなく、何に取り憑かれることもなく
by osho
もしもお腹が空いたら、それを眺めて、何かを食べるならそれも眺めるということですね。
誰かに否定されて悲しい気持ちになったら、それをただ眺めて、何をしても虚しいなと感じるなら、それも眺めるのです。
快適な生活があるなら、それを眺めて、不快な境遇にあるなら、それも眺める。どちらにしてもその時々の気持ちも眺めるのです。
独りぼっちで寂しいなら、それを眺め、愉快な仲間と一緒にいて楽しい時にもそれを眺めるのです。
多忙で疲れ果てているなら、それを眺め、暇で何もすることがなく時間を持て余しているなら、それも眺めるのです。
頭の中に思考が渦巻いているなら、それを眺め続けるのです。そうすると、次第に過去と未来に向かっていた思考は緩み、眺め、見守ることだけが残るのです。
そうしてゆっくりと、真実の薫りがやってくるのですね。