<全体>を信頼すること

信頼

われわれがシュラッダと呼んできたもの–

生を信頼すること

自分の個的な心を信頼するのではなく

<全体>を信頼すること

部分を信頼するのではなく、全体を信頼すること

心を信頼するのではなく、存在を信頼すること

by osho

昨日のブログで、自分の変化について書いたのですが、受け入れることと意識的であろうとすることが主な変化だということを書きました。

たしかにそれは間違ってはいないのですが、もっとシンプルに言えば、↑この osho の言葉になるなと思ったのです。

<全体>を信頼すること、個人としてのマインドは決して信頼することができません。なぜなら、それは思考の産物だからです。

真実はそこからはるかに離れたところにあると分かるのです。そのことに気づいたことが最大の救いであり、拠り所になっているということです。

マインドとの同化を続ける限り、本当の救いはありません。というより、元々救われていることに気づくことがないと言った方が正しいのです。

マインドには信頼が分からないのです。マインドは二元性を生み出し、信頼はその外にあるものだからです。

マインドが消え失せた時、ずっとここにあった真実が見えてくるのでしょうね。