あなたは愛が何であるか知りやしない
あなたの知っているのは執着だけだ
しかも、そういう執着をあなたは執着だと思っていない
あなたはそれを愛だと思っている
もし執着が執着として認識されれば
それは落ちる
けっしてあなたがそれを落とすのではない
by osho
この世界には、大きく分けて二種類の愛があります。一つはわたしがエゴの愛と呼んでいるものであり、もう一つは本当の愛です。
そしてエゴの愛にはそれこそいろいろな形のものがあるのです。本当の愛に近いものから、執着そのものだと分かるようなものまで。
両者の違いは何かと言うと、本当の愛というのはエゴの不在の状態のことを言うのです。無私ということですね。
一方エゴの愛の方は、愛するあなたが中心にいるときのこと。私があなたを愛するのですから、いつも主語が必要なのです。
エゴの愛は、「愛する」という動詞として表現できますが、それはエゴの行動として捉えられるからです。
本当の愛はただ起きるのです。そこには誰もいないのですから、ただ起きるとしか言いようがないのです。
学生のころ、私は自分には愛がないな〜と思っていたのですが、今思えばそれは当然だったということです。
ここで言いたいことは、エゴの愛が悪いということではなく、両者の区別がしっかりできるかどうかが大切だということです。
自分が感じている愛がエゴの愛だと気づけば、気も楽になるというものです。誰かを欲したり、嫉妬したり執着することをそのままに受け止めれば、それを愛と勘違いしなければいいのです。
そのままを認めてあげられるなら、いずれエゴの愛はゴミ箱行きに勝手になるのですから。