気づきはやってくるもの

<自然であること>には

何か賢いことと何か愚かしいことがある

自然である人間は

賢いのであって善なのではない

自然でない人間というのは愚かしい

悪いわけじゃない

世の中に悪いことなど何もないし

善いことなど何もない

ただあるのは

賢いことと愚かしいことだけだ

by osho

善も悪もありません。何かに執着することがバカバカしいことだと分かっていても、それを手放すことができないのは善悪ではないのです。

夢の中で溺れそうになって何かに必死にしがみついているのに、手を離しても大丈夫だからと言われても通じないのです。

本人が夢だと気づけば、そのしがみつきがバカバカしいことだったと分かるので、勝手に手を離すことになるわけです。

だから大切なことは、気づくこと。勇気を持って対処することでも、努力して自分を変えようとすることでもないのです。

ただ愚かしいことだと府に落ちれば、執着は自然と消えていってしまうのです。だから賢さとは気づくことなのです。

気づかないことこそが愚かしいこと。そこに良いも悪いもありません。癒していくということは、気づきを繰り返していくことなのです。

じんせいものがたりは、マインドという思考群が生み出したものだと気づくこと。生は対処すべきものではないと気づくこと。

生はただあるようにあるのであり、戦う必要など毛頭ないということに気づいていくことです。

自然であれば、おのずと気づきはやってきてくれるのです。