瞑想するエゴを見守る

あなたが身体でも心でもなく、ただ純粋な意識、看る者だったときの本来の顔を思いだし、自覚すること。それこそが、あらゆる瞑想の目指すものだ。

by osho

今日の osho の文章はとてもシンプルで本質的なものですね。瞑想は目指すものではないけれど、これも一つの方便です。

初めはエゴが瞑想を始めるのです。エゴ自体がエゴから離れようとする自己矛盾の中で瞑想が開始されるわけです。

この時二つのことが同時に起きます。一つは、エゴがこっそりと瞑想を通して価値ある自分になろうとし、もう一つは本当にエゴが弱体化していくということ。

この相反する二つのことが同時に起きようとするのですから、なんとも面白いものだと思います。

そして多くの場合、エゴは瞑想を通してより賢く振る舞うことができるようになります。自分は精神的に高度なところに来ていると思うわけです。

気づかぬうちに、瞑想しない人々を見下すようにもなるかもしれません。というよりも、そういったことはほぼ間違いなく起こることです。

大切なことは、そういうエゴをそのままに見守り続けるということです。そういう瞑想こそが、いずれはエゴが薄れていくことを促す結果となるのでしょうね。