人生において本質的にすべきことなど何もない、ということに気づいてしまった人は、一体どうなるのでしょうか?
それは勿論絶望することになるはずです。なぜなら、私たちの人生というのは未来に向けての希望や期待で成り立っているからです。
その希望が途絶えてしまうのですから、それを絶望と呼ぶわけです。絶望はエゴにとって、文字通り絶望的な状況なのです。
食いぶちを取り上げられてしまったような、何を頼りに今日を生きていけばいいのかが分からなくなってしまうからです。
けれども、長い目で見れば、そしてエゴの視点から少し離れた場所からその状況を眺めてみると、気づくことがあるのです。
絶望はエゴにとっては辛いことですが、本当の自分、だれでもない自己からすればこれほど清々しいことはありません。
何かしなければいけないという脅迫的な催眠術から眼を覚ますチャンスだということにも気づくことになるのです。
とはいうものの、これまで生きてきた希望オリエンテッドな生き方がそう簡単に降参することはないのです。
しばらくすれば、知らず知らずのうちにまたゾロ別の希望をでっちあげて、それに向かって生きる人生が開始されるのです。
その繰り返しを絶望と共に見続けてあげることです。絶望はこれ以上ない気づきのチャンスなのですから。