繰り返しお伝えしていることですが、自我として生きている私たちの根っこにあるものは、不安と恐怖と孤独です。
これは絶対的なものです。というのも、冷静に理性を働かせてよく見れば分かることです。個人、個体である限りは避けられないのです。
だから人類は何とかしてそれを克服しようとして、あらゆる手段を講じてきたわけです。その一つが誰かと一緒にいるということ。
幼い子供は、親やその他の家族がそばにいてくれるおかげで、孤独を紛らわすことができるのです。
大人になってもそれは変わりません。誰かと共に生きているという感覚があれば、孤独は和らぐのです。
誰かを愛するだけで、不安や恐怖も小さくなったように感じることができます。けれども、そのどれもこれもが真実を隠すためのものでしかありません。
所詮は孤独だし、不安と恐怖は消えないのです。自我の愛は、真の愛ではなく、苦しみを紛らわしてもらうためのものでしかありません。
魂の恋人と巡り合ったとしても、原理は何も変わりません。良い悪いの話ではなく、原理をしっかり見て認めることです。
誰もが同じ原理の中にあるわけですから、これほど平等なものはありません。その上で、じっくりと自我という幻想を暴けばいいのです。
孤独も不安も恐怖も自我と共に消え失せて、後の残るのが真の愛(無我)ということですね。