中道=「ふつう」の中の「ふつう」

ブッダは自らの生き方を中道と呼んだと言われていますね。ある極端とその真反対の極端のちょうど真ん中のことを中道と呼んだのです。

孔子はそれを中庸と呼んだらしいですが、どんな言葉であれそれが伝えようとしていることは同じです。

ところがこの中道や中庸を勘違いして理解してしまった人がたくさんいます。一つの例をあげれば、中道が正しい道だと思っているのです。

それが間違いだと言うことが分かるでしょうか?中道は、正しさと正しくないことのちょうどど真ん中なのです。

善と悪の真ん中でもあり、誠実さと不誠実の中間でもあります。もうお分かりだと思いますが、真ん中というのは「ふつう」と言うことです。

極端に真面目でもなく、不真面目でもないと言うこと。物事を信じるのでもなく、信じないのでもないと言うこと。

私たち自我にとっては、この「ふつう」と言うのは特に魅力を感じるわけでもないし、なんなら忌み嫌っている可能性すらあります。

と言うのも、「ふつう」であると自我はその中で埋もれてしまって存在が危ぶまれてしまうと思っているからです。

中道というのが何となく難しい感じがするというのでしたら、それは「ふつう」の中の更に「ふつう」であることをイメージすればいいのです。

それが如何に難しいことであるか、実際自我には無理なことです。だからこそ、ブッダは中道を目指せばいずれは覚醒すると言ったのですね。