何か特別なことのように瞑想をしようとして、大上段に構える必要もなく、ただ静かに坐してこの瞬間にいるだけでいいのです。
そうすると、一種の至福感のようなものがやってきてくれるのです。それは決して幸福な気持ちになるのではありません。
ただゆったりとした安らいだ感覚であり、静寂と沈黙、そしてとても落ち着いた穏やかさに包まれるのです。
ここには楽しさや嬉しさ、あるいは快楽や苦しみなどもありません。もちろん興奮とか、高揚感などとは遠いものです。
ただそういった自我の好物ではない、もっと本質的な何かがそこにはあるという感じがするのです。
人生という、思考(マインド)が作り上げた騒々しい毎日の中にあっても、こうしたハートの中にある静かな時間を持つことが出来るのです。
それがとても幸運なことであり、何かの恵みのような気がします。変化ばかりの人生も悪くないですが、こうした時間のない体験もいいものです。
これこそが私たちの起源であり、マイホームなのだと感じますね。