幼子の疑う気持ちを忘れない

日本語で「疑う」というと、どうもネガティブな響きがあってあまりいい印象がないのです。

それともう一つ、逆に「信じる」ということはとても良い印象がありますね。これはきっと社会が望んでいることなのでしょう。

このブログでも繰り返しお伝えしてきたのですが、信じるということは信じないということと同じことなのです。

地球は丸いと信じるのと、地球は四角いとは信じない、この両者は同じことを意味しています。

ただし、信じないということと疑うということは似ているようでいて、本当は違うものです。

疑うのは、信じたり信じなかったりすることとは一線を画するのです。それは宙ぶらりんにしておくことを意味するからです。

信じることと信じないことは、どちらも結論を出してしまっているのです。だからそれ以上の検証は必要なくなってしまいます。

疑うということは、自分なりに検証をする余地を残しておくということなので、それが明らかになるまでは検証を続けていくことになるのです。

まるで幼子のように、いい意味での「疑い」をいつも持っていること、そして興味があれば自分で検証すること。この態度がとても大切だと思いますね。