左脳が優位になったおかげで、私たちは高尚な哲学や難しい考えなどを崇拝するようになったのですね。
だからoshoの次の言葉は胸に痛く突き刺さります。
『哲学とは正確には何か?それはまったく何も知らないのに、知っているふりをすることだ。それは思索だ。思索とはつねに、人が無知であるのに、何かをでっちあげようとしているという意味だ。いつであれあなたが考えるとき、それはたんに、あなたが知らないことを示している。』
確かに本当に知っていることというのは、思考とは全く次元の異なるところにあるのは分かる気がします。
思考の中でも思索というのは、いかにも思慮深い感じがしていいのですが、それでも思考を回転させていることには違いありません。
本当に知っていることを考えることってできないのですね。なぜなら、もうそれ自体だからです。
思考というのは周辺情報をああでもない、こうでもないと言って繰り返し増やしていっているだけです。
周辺情報をいくら増やしたところで、それ自体を知ることにはならないということは、以前このブログでも書きました。
ここが一番肝心なところだと思います。24時間思索に耽るのなら、5分の瞑想の方が圧倒的に真実に近づくと思いませんか?
ーーーーーーーーーーーー
こちらの動画もぜひご視聴ください。