非常に秀逸なoshoの言葉を味わってみてください。
『かつてこの地上で、愛はひとつの過ちもおかしたためしがない
あらゆる過ちは愛の欠如によるものだ
じっさい、わたしにとっては
それこそ生における唯一の過ちに他ならない』
ここで言う愛とは、純粋な愛のことであって自我にそれを理解することはできないのです。その一方で自我の愛とは、偽物の愛のこと。
だから巷に溢れかえる恋人同士の愛憎劇とか、あらゆる人間ドラマに出てくる辛く苦しい愛もみんな自我の愛なのです。
それは当然のこと過ちを犯すのです。他の表現を使えば、それはとてもバカバカしいことと言えるかもしれません。
自我の愛というのは、防衛をその原動力としているので、実は純粋な愛の正反対のものなのです。だから、愛という名の苦しみなのです。
セッションで、あるクライアントさんに自我についての説明をしていた時に、それを聞いていたクライアントさんが、じゃあ人生が辛いのは自我のせいですね?と。
そうです、自我の原動力は恐怖や不安(愛の欠如)なので、それは必ずや困った事態へと連れて行ってしまうのですね。
自我が悪いというよりも、自我とはそういうモノでしかないという理解が大切ではないかと思っています。
そうなると、少しずつ自我から離れていくことが賢い生き方なんだろうなということが分かってくるのですね。