非二元の探究は一旦終わった感じなのですが、いい具合に日々なんとなく思い出したり、自分なりの簡単なワークをやったりしています。
時間があるときには、瞑想をしっかりやらねばと思って自分に重圧をかけていた頃を思うと、だいぶ呑気な毎日になっています。
非二元のいいところは、普段の生活の中で工夫することで何も特別なことがなくても、それなりにワークができるところです。
頑張ってみたり、もっとこうならなければならないとか、今よりももうちょっと精神を落ち着かせなければ、等々が不要なのです。
というよりも、そういった普通とは違う自分を作り出そうとすること自体が、非二元から遠ざかってしまうのです。
今の感覚を試しに言葉にしてみると、自分はいるけれど個人ではないという感じ。これは気づきそのものだったんだなと。
これは朗報ですね。何も変える必要もないし、何もダメではないし、気づいている感覚がなくなることはないんだなと。
記憶を使わないことが普通になって、過去がないのだからそれは当然のことだし、今と全面的に関わっているこの感じがいいですね。

