見捨てられる恐怖 その2

一ヶ月くらい前に、このブログで見捨てられる恐怖について書きました。ひとりの人間が出会う最大の苦悩は、見捨てられていると感じることだというお話しをしました。

決して見捨てられたくない、もし見捨てられたら死んでしまうと固く思い込んでいるため、それこそ命がけで何だってしようとするのです。

それはさながら、重度の薬物中毒患者が薬物を手に入れるためには、どんな犯罪にも手を染めかねないのと同じなのです。

自分の身近な体験では、お腹が痛くてトイレに駆け込みたくて、冷や汗を垂らしながら外でトイレを探しているときには、万が一知り合いの人に会ったとしても、とても愛想よく会釈などしている余裕はありません。

切羽詰ったら普段の理性などふっとんでいってしまいますね。腹痛程度でもそうなってしまうことが容易に想像できます。

それが見捨てられるかもしれないという生命の危機に直面するなら、理性的な判断など何の役にも立たなくなってしまうことが分かるはずです。

そうやって、何とか見捨てられないようにと、あり得ないくらいの自己犠牲を払ってしまうのです。その行為は大抵は軽蔑されたり、常軌を逸していると思われてしまったりもするのです。

例えば、相手の期待に応えられないとその人から見捨てられてしまうかもしれないと思い込んでいる場合には、実際に見捨てられるかどうかは別として、命がけで相手の期待に応えるように努力します。

そして、残念ながら期待に応えられなかったとすると、自分を最大限責めまくってしまうのです。そうやって、見捨てられるかもしれない恐怖を感じないようにするのです。

見捨てられる恐怖は計り知れないくらいに巨大な恐れです。それは簡単には克服できるような代物ではありません。もしかすると、一生その恐怖から逃げ続けなければならないかもしれません。

それでも、少しずつ、ほんの少しずつでも何度も繰り返しそうした恐れを感じつつ、心の筋トレを継続していくことで、必ずや乗り越えていくことができると思っています。

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