今を生きる その2

今この瞬間だけに意識を集中していられると、身体や心の苦しみや痛みから解放されてしまいます。このことは誰もが経験していることです。

その昔、ボーリングが流行っていたころですが、両親と一緒に時々行ってたことがあったのですが、ある時、母親が歯の痛みを抱えていながらも、ボーリングがしたくて一緒に行ったことがありました。

本人によると、ボールを投げる準備に入ってから投げ終わるまでの間は全く歯の痛みは感じないと言っていました。人間てゲンキンなものだね、なんて言って笑っていました。

ボールを投げることに夢中になっているので、歯痛への意識が遠ざかったためにそれを感じないでいられたということでしょうね。

今を楽しんでいるのに、頭がズキズキしてきてどうにもこうにも今を楽しめなくなってしまった、ということがあったとしたら、それは過去に無意識が向いていたという証拠です。

痛みは今にはないからです。それはすべて過去と繋がっている罪悪感からやってくるのですから。自分の場合にもそういったことはよく起こります。

調子よく大好きなワインや食事を楽しんでいる、ああ今を楽しんでるなと思っていても、急に何となく不穏な感じがしてきて、お腹が痛くなったりします。

本当に今を生きているのなら、そうしたことが起こるはずはないのです。でもこれって難しいですよね。自覚では今を楽しんでいると思っているのですから。

今に意識を向けていられたら苦痛は感じなくなるということを、何かをやってそれを紛らしているに過ぎないと思っている方がいるかもしれません。

でもそうした気晴らしとは違うものだと私は思っています。実は気が紛れているというよりも、今というこのときには本当に苦痛は存在できないということです。

本当は痛みがあるはずなのに、それを感知していないだけだと解釈することもできますが、本質的にはその瞬間痛みというものは存在しないのです。

なぜそういうことが言えるのかというと、苦痛そのものは自分の思いが作り出しているものだからです。思いとは別個に苦痛があるということこそ、思い込みに過ぎないのです。

ですから、私たちは気づかぬうちに苦悩を起こしてみたり、停止してみたりということを都合よく操作できるということです。苦悩を起こすときには、過去の罪悪感を引っ張りだしている時なのです。

今というこの瞬間には苦悩のもとになるような思いは入って来れないのです。だから、喜びや楽しみばかりになって、心が満たされるということですね。