自分の役割と自己価値

私たちは誰でも何らかの役割の中で暮らしています。職場での役割、家庭での役割、学校での役割、国民としての役割など、ありとあらゆる役割を持っています。

持っているというよりは、より正確に表現すれば役割を与えられているとも言えますし、自分で勝手に何かを自分の役割だと決め付けている場合すらあります。

この世界では役割というものは、否定的な言葉ではなくて、むしろ肯定的な言葉として捉えられているふしがあります。

それは、与えられた役割をきちっとこなす、というようにある人を評価する場合にはその人がどれだけその役割を果たしているかということが重要な要素ともなるからです。

ではもしもある人が何の役割も持っていないとしたら、我々はその人をどのように評価すればいいのでしょうか?評価の対象とはなり得ないと感じるかもしれません。

だとすれば、役割を持っているということがとても大切なことだということにもなるわけです。だからこそ、みずから役割を探してそれを立派にこなすことで自分の価値付けをするということにも繋がるのです。

こうした役割の重要性というのは、大人ばかりではなくて、幼い子供でもそのことを知っていて、理不尽ともいえるような役割を自分に課して、何とか親に愛されようと頑張るのです。

勿論そこにあるのは愛ではなくて恐れであるため、頑張れば頑張るほど自己犠牲を強いることになってしまいます。

奇跡のコースでは、我々一人ひとりの存在価値を決めているのは神であり、我々自身にそんな能力はないと明言しています。

自分の自己評価が低いと言って嘆いている人はとても多いものですが、それは神の代わりにみずからの価値を判断できると錯覚していることになります。

自分たちの存在価値については、そのすべてを神に一任することにしませんか?そして、きっと神はこの上ない価値を我々に与えてくれているはずだと信頼するのです。

そうすれば、この世界に氾濫している役割を必要以上に重要視して、それを果たすことで自分の価値を高めようともがくこともなくなるはずです。

我々の唯一の真の役割は、自分は何者かということを思い出すことだけです。