ドラマからのヒント その2

先日も YouTube で見た古い日本のドラマのことを題材にして、このブログを書きましたが、そのドラマからもう一つ題材をいただくことにします。

そのドラマは一貫して「愛」について語っているのですが、最後の最後にきて、主人公が「愛とは、冒険だ!」と言うシーンがあります。

私は本当はもっと違う言葉を期待して、じっと待っていたのですが、それでも冒険という言葉を聴いていやな感じはしませんでした。

「愛は冒険」というよりも、一人ひとりの「人生こそが冒険」なのではないかと思いますね。私たちの人生という冒険は、生まれたときに始まるのではありません。

その開始は、自分というものがここにいるということに気づいた時であると言えます。それまでは、人として生まれてはいるものの、明らかに動物と同じレベルです。

なぜなら、自分というものを意識してはいないからです。自分が外の世界を眺めているという意識がないのですから。

しかし、健康な幼児は必ず、ある時期がやってくると、自然に自分がここにいるという気づきを作り出してしまいます。

それは本当に仰天するような出来事なんです。なぜなら、今の今まですべては一体として見ていたものが、小さな自分と大きな外の世界とに分かれてしまうのですから。

そこからが本当の冒険のスタートです。弱くて卑小な自分を受け持つことになってしまったということが、非常に危うく苦しい冒険の始まりなのです。

自分がここにいるという気づきの代償はあまりにも大きすぎて、何と表現していいか分からないくらいです。それを、冒険という言葉で表現するのは、これ以上の肯定的な言い方はないのではと思うくらいです。

そのようにして、人生という冒険は3歳くらいのときに、突如として開始することになります。そして、愛の代わりに人生こそが冒険だということになると、愛とは何かということが残ります。

真の愛には、ある決まった形が必要となります。それは、冒険をスタートさせたときにやってきた、ここに自分がいるという思いを手放すこと。

自分はここにいないという状態こそが、真の愛が起こる大前提だということです。従って、私たちの大冒険とは、「自分がここにいる」から始まり、「自分はいない」で完結することになるのです。

それは決して死ぬことではなく、生きながらも自分を脱するということを意味します。それこそが、愛が起きる形としての必要条件なのです。