確率のうそ

受験生のときに、模擬試験なるものを受けると、自分の志望校に合格する確率がパーセンテージで教えてもらえるというのがありました。

きっと、今でもそうしたものはあるのでしょう。それが、80%以上であれば、喜ぶこともできますが20%程度であれば、もっと頑張らなければということになるのですね。

もうすぐ入試というときに、担任の先生がクラスのみんなに模試による合格率の数字など意味がないということを教えてくれたのを覚えています。

それはつまり、本人にとっては合格すれば合格率100%になってしまうし、不合格であれば0%ということになって、模試の結果による確率など意味をなさないというようなことでした。

担任の先生は数学の教師ということもあって、何となく説得力があるような気がして聞いていたのを覚えています。

そして、今そのことを思い出すと、それは確かに真実だなと思えるのです。私たちは時間の中に暮らしているという思い込みがあるために、確率というものがまことしやかに取り扱われるのです。

もしも、時間という概念をなくして今この瞬間だけしかないということになれば、確率というものには何の意味もなくなってしまうと分かるはずです。

例えば、サイコロを振ってそれぞれの目が出る確率は同じように六分の一です。それは時間のなかにおいて、繰り返しサイコロを振って沢山の結果の集計をした時にその確率に意味が出てくるということ。

たった一度きりだけサイコロを振るということであれば、そのときにたまたま出だ目が100%ということになり、決して確率を持ち出すことはできません。

私たちの本質は、決して時間の中にいるものではありません。従って、何かをしようとするときには、その結果について確率的な考えを取り入れないことです。

自分にとっては、常に100か0のどちらかに過ぎません。11年前に大腸癌を患ったたときに見付けた本に、むこう5年間の生存率が出ていました。その病気になった患者さんたちの過去の統計なのでしょう。

でも自分はその数字を無視することにしました。自分の人生を確率の中になど置きたくなかったからです。生き続けることができれば、それは100%ですし、そうならなければ0%の生存率となるだけです。

今に生きるということは、必然的に確率に影響されない生き方になるのだろうと思うのです。確率に支配されずに、やりたいことを思い切りやれる人生を選びたいものですね。