何かをせずにはいられない

私たちは、幼稚園や小学校へ行くようになって、団体行動を経験することで、ある程度じっと座っているといったことができるようになっていきます。

それまで幼児の頃には、その子が病気でもない限りは片時もじっとしてはいないものですね。何か身近な手が届くもので遊んでみたり、自分の身体を動かしてみたり。

そうやって外の世界へと自分の好奇心を向け続けて成長していきます。大人になっても、じっと座って瞑想することが苦手な人もいますね。

身体の具合が悪いとき以外は、人は何かをやろうとしてしまいます。出かけて人と会っておしゃべりしたり、クルマを運転してみたり。

家では食事をしたり、テレビをみたり。家族との会話を楽しんだりと、いつも何かしらの行動をしています。それが止まるのは、寝ているときだけです。

なぜ私たちは、本当に何もしないでいるということが苦手なのでしょうか?それは、心の性質がそうなっているからです。

心は外の世界の何かに対して、快楽か苦悩の元であると判断し、苦悩は避けようとするし、快楽を得ようとするのです。

苦悩を避けようとするのが恐怖であり、快楽を得ようとするのが欲望です。つまり、欲望から常に外側の何かに意識を向け続けるのです。

そのために外側を拒絶するか係わろうとするかのどちらかになるため、それが何かをせずにはいられないという結果となるということです。

その欲望そのものが想念であると言ってもいいのです。だからこそ、私たちの心には、常に何らかの想念が渦を巻いて起こっているのです。

それは、実は本当の私とは誰なのかという最も本質的なことから、目を背けさすための「私」の作戦でもあると言えるのです。

その策略に私たちはまんまと乗って、過去世からこの現世へ、そして未来世へと輪廻を続けることになるということです。

何もしないでいること、あるいは一つの想念も作らずに注意し続けることができたら、本当の本当の自己を思い出すことができるはずなのに…。

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