理解から信頼へ

何か自分にとって、本当に大切なことを深く深く自分のモノにするためには、まず初めに理性によって理解することが必要となります。

それを本当には受け入れられなくても、否定的に思えたりしても、とにかく理解することができなければ、先へ進むことはできません。

しかし、頭で理解できたとしても、それを信用する必要はありませんし、むやみに信用することのないようにするべきです。

もっと言えば、信用せずに疑ってかかるということの方がいいのです。疑いを晴らすためにも、自分でそれを検証しようとする姿勢が大事なのです。

それを分析し、それを体験していく中で、少しずつ信頼を深めていくのです。信頼が一気に100%になることを期待しないことです。

焦らずにじっくりと腰を据えて、体験しながら検証を重ねていくのです。そして、自分の中でそれへの疑いがなくなっていけばいくほど、信頼が益々深くなっていきます。

そしてとうとう100%の信頼を得られるそのときに、検証し続けてきた主体である自己と、検証され続けてきた対象とが一つになるのです。

真実とはそういうものだと思います。一つになるということは、信用するかどうかという概念が消滅して、直接体験だけが在るということになるはずです。

完全なる信頼と、真の所有とは同じことを指しているのです。そこには、もはや主体と客体という関係は見当たりません。

もしも、「行為者はいない」ということに対して、上記のような検証をできる限りすすめていくことができたなら、きっと検証する行為者としての自己はいずれ消滅することになるのでしょうね。