観察と観照の違い

科学の基礎とは、人が対象を観察するということです。つまり、直接的であろうと間接的であろうと、人間の知覚による対象物への認識が基本なのです。

それに対して、観照というのは、非常に主観的なものであり、第三者からみた客観的な事実とは無関係であるということです。

したがって、観察と観照とはまったく似て非なるものであるということが言えます。科学で何かを証明するという場合には、観察による厳密な実験によって結果を導き出すのです。

この結果に対して、こう思うというような主観をできるだけ排除しなければなりません。一方で、観照は常に主観的なものであって、その正しさを証明することは不可能です。

観照には、観察のような主体と対象という関係はありません。つまり、観照している観照者はいないということです。

観照が起きているときには、観照される対象、つまりそれは現象ですが、その現象と観照とが一つになっているのです。

このような観照の感覚が分かれば、観照というときに、それが自分を客観的に見る、第三者的に観察する、ということとは全く違うということに気づくでしょう。

観照が起きているときには、自分と周囲の世界との境界というものが曖昧な感じがしてきます。これは、究極の主観は全体性と等しいということから説明できるのかもしれません。

観照とは、明け渡しでもあるのです。なぜなら、観照が起きるときには、過去や未来が消えてしまうからです。

今この瞬間にしか、観照は起きません。これは、過去や未来にのみ生きている「私」という名のエゴが消えている状態です。

言ってみれば、ありもしない過去や未来を、今この瞬間に明け渡しているということです。これこそが、本当の明け渡しです。

そして、この明け渡しは実際いつどんな場合にでも、一瞬の視点のシフトによって起こるのです。何とシンプルなことなのでしょう。