知覚における0.5秒の遅延

昨日のブログで、完全に自由に、何の制約も課せられない状態で、ある決意をしたときには、その決意の瞬間よりも0.5秒も早くに無意識のままに脳からの発動があるということをお話ししました。

つまり、自分が今このタイミングで決意したと感じる瞬間というのは、実に脳からの指令が出てから0.5秒も経過した後だったということです。

この事実については、驚かない人はいないはずです。一体全体、自分が決意したと感じることとは、何なのだろうと思わずにいられません。

そして、この0.5秒というあまりにも長い不可思議な遅延時間は、見る、聞く、触れるなどの知覚についても言えるのです。

自由意志による決意というのは、外的な要因を一切排除した、完全なる内面からのものであるということが言えますね。

ところが、外側からの刺激に対する気づきについても、それと全く同じようにして0.5秒の遅延をしているのです。

もっと分かりやすく言えば、どんな知覚でもいいので、例えば信号機が赤に変わったと気づくときには、実際の信号機が赤に変わってから0.5秒も経過しているということです。

そんなはずはないと思いますよね。でも、これは実験から導き出された正確な遅延時間なのです。ところが、不思議なことに私たちの気づきには、その遅延を補正する能力があるらしいのです。

つまり、タイミング的には間違いなく0.5秒遅延して気づきがやってきているはずなのに、その遅れを巻き戻して感じるようにしているということです。

この事実を知っても、私自身、にわかにああそうですかとスルーすることができませんでした。それでも、これは事実なのです。

気づいているという意味での意識というのは、本当に理性では類推することさえできないような謎に満ちているものなんですね。

そしてそれこそが、本当の私たちの姿なのでしょう。謎に満ちた自己を、現象を通して知ろうとすることが、この世界の唯一の目的なのかもしれませんね。