視点についての疑問

外側に広がる世界を見る時の方向とは間逆の方向に注意を向けた途端に、そこには何もないということが提示されています。

見えないということは何も存在しないということです。このことは、現代の物理学の常識となっています。つまり、存在とは知覚であるということです。

一人称は知覚することが不可能なので、一人称とは存在しないということを意味しているのです。ところで、その広がった無色透明さを見るということは、知覚ではなく直接体験しているのです。

そして、その体験者は本当の自己であるということができます。真の自己が、唯一の純粋意識であるとすると、なぜ視点が人間の数ぶんだけあるのでしょうか?

このことは、実は一年も前から私の中で疑問として燻っていたのです。けれども、その疑問に対してあっけないほど簡単に、回答が与えられてしまいました。

それは、視点というものがあるとするなら、それは無数にこの宇宙に在るに違いないということ。もっと端的に言えば、宇宙空間のあらゆる位置は、すべて視点でもあるということです。

なぜなら、真の自己自身が宇宙を満たしていると考えるなら、地球上の人間の数だけ視点があるのではなくて、視点もくまなく偏在しているということなのです。

なんでこれほど簡単なことが分からなかったのか、今となってはそっちのほうが不思議な感じさえしてしまいます。

というわけで、真の自己が私を通して見るときの視点と、あなたを通して見るときの視点が違うということは、何も矛盾しないのです。道端にころがっている石にも、同じように異なる視点があるということですね。

全視点を同時に直接体験することになったら、一体どんなことになってしまうのでしょうか?今の自分には想像もすることができません。