すべてが完全にお膳立てされた日々を生きる

昨日は、お昼過ぎから夜8時を越えて、ずっと入院中の母親と一緒にいました。病院では、勿論必要なすべての処置をしてくれています。

それでも、今リハビリが始まって一週間というときに、自分にできることがあればあらゆる協力をしてあげたいというのが本音なのです。

運良く、病院はここ吉祥寺からクルマで20分程度の距離のところにあるし、仕事の予約はほとんど入らない日が続いているため、毎日母のところへ行くことができるのです。

生まれてこの方、自分は家族も含めて誰かの世話を丸一日やったことがなく、子供が生まれたときも概ね奥さんと母に任せていました。

それが今回、初めて母親のためだけに一日近くを使うという経験をさせてもらっていて、本当にそれをありがたいことだと思えるのです。

理性では、何だか一日中生産的なことをしていないし、ただ昨日よりも10cmだけ足が上にあがるようになったということに単純な喜びを感じるだけで、こんなこともありかぁと思うわけです。

けれども、大切な人への恩返しをどうやったらいいか分からないでいたのが、ようやくほんの少しだけそれをさせてもらえるチャンスが廻って来たんだなと感じるのです。

すべてが完全にお膳立てされているという、身勝手な感覚がやってきています。こうして、母親自身が身体を張って私に恩返しの機会を与えてくれたのだと思うのです。

歩ける、ベッドから起き上がれる、というこんな当たり前が、いかに恵まれたことなのかということにも気づかされる日々を過ごしています。

病院で母親と一緒に過ごしていると、瞑想のこともあまり思い出すことすらなくて、代わりに筋力が異常に低下してしまった母親の筋肉を、少しでも力づけたいという祈るような気持ちで過ごすのは、とても新鮮なものですね。

加えて、この週末は90歳を越えて元気でいてくれる、父親との時間を過ごすことになるので、それはそれでまた楽しみでもあるのです。