人生はいつもチャンスだらけ

長いようで短い人生、でも生きていればいろいろなことが起こります。飛び上がって大喜びするようなことや、落ち込んで塞ぎ込んでしまうようなときもあります。

そういう意味では、私の場合は、ここ最近はどちらかといえば後者のほうの部類に入るようなことばかりが立て続けに起きている感じがします。

セラピストの仕事がままならなくなって、セッションルームを去らねばならない事態になりつつあるし、先日母親が自己で骨折して大変な目に遭ったりして。

そして、昨日は自分の不注意が基で、クルマのボディを鉄柱に当てて、悲惨な状態にしてしまったりして。お金の問題というよりも、なんだか気が滅入る感じです。

けれども、この人生の主人公である自分が、起きたことに対して参ったなあと思ってうな垂れているとしても、それを「目撃している自己」が在ることに気づくのです。

その自己は、あらゆる感情をそのまま取り入れることができるのに、決して傷つくことがないと分かっている自分なのです。

すべてをあるがままに目撃していて、決してそれに影響されることのない自己。そこに意識を向けていることができると、完全に救われます。

反対に、母親の術後の経過は順調で、リハビリによる回復も予想よりもずっと早いという、とても喜ばしいことも同時に起きています。

それで、一体どちらが本質の自己への意識を思い出し易いかといえば、やはり都合の悪いことが起きた時のほうだと言えます。

人間とはそういうものなのかもしれませんね。残念ながら、望まないことが起きた時のほうが真実に近づくチャンスは圧倒的に大きいのです。

そう考えると、人生とは、どちらに転んでも本当に恵まれていると言えます。喜ばしいときには大いに喜び、辛く苦しいときもその中に大きな気づきを得るチャンスがあるのですから。