死と隣り合わせで生きる

年齢を重ねていくに連れて、人生がいつまでも続くわけではないということが、かなり身近なこととして感じられるようになってきました。

若い頃は、自分もいつかは死ぬのだと頭では分かっていたものの、何となく遠い未来のこととして捉えることしかできなかったのでしょうね。当然だと思います。

特に、私の場合、幸か不幸か身近な人たちの死というものに直面することがなかったという事情もあるのかもしれませんが。

両親ともに元気ではあるのですが、高齢になってきたということもあって、家族の死というものを真っ直ぐに見る必要も迫ってきたという感じです。

またこの数年、自己探求を続けてきたことも自分の死を直視することを加速させる大きな要因になったのではないかと思っています。

というのも、何者でもない真の自己を見るにつけ、そこには生死というものが存在しないということが分かれば分かるほど、人物としての自分の生死が際立ってきたからです。

そして、死のない本当の自分が、人生という物語の中の一つの死を特別なものとしては見ないという意識が強くなってきたのです。

そうなると、今度は生きることと同程度に死ぬこと、あるいは死に至る多くの物語に対しても、同じように興味を持って見ることができるようになってきたのです。

日本の敗戦間近の神風特別攻撃隊、いわゆる特攻隊の物語を読むにつけ、人の命というものが光り輝いて見えてきます。

自分の若い頃は、特攻隊のような死に方を単に理不尽な出来事として切り捨てていました。けれども、若い彼らがこれから死にに行く直前に撮影した写真を見ると、誰もが何とも晴々とした笑顔で写っているのです。

人は誰でも、何かに自分の命を与えることができるなら、自己防衛によって存続してきたエゴが力を失ってしまうために、心が光り輝く状態になれるのです。

それこそが、死と隣り合わせで生きるということです。戦争という特別な状況下で起きたことではありますが、本質的には誰もが自己防衛をやめ、死を直視することで清々しい静寂の中に入っていけるのですね。

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