「潔さ」について

「潔(いさぎよ)い」という言葉がありますが、辞書では何て書いてあるのかと思って調べてみました。おおむね以下のように書いてあります。

~~~~~~~~
1 事物・風景などが清らかである。汚れがない。
2 思い切りがよい。未練がましくない。また、さっぱりとしていて小気味がよい。
3 道に反するところがない。潔白である。
~~~~~~~~

どこかの国の総理大臣のように、近いうちに解散すると約束しておきながら、国益を損ねると知ってか知らずか、ズルズルと延命のために煮え切らない態度でいることは、まさに潔くないと言えますね。

私が感じている「潔い」とは、物事に執着しない心の状態であろうと思うのです。そして、それは都合の悪いことからも決して目を背けない態度からのみ、起き得ることなのでしょう。

勘違いされやすいのは、「潔さ」と諦めやすさとを混同してしまうことです。何かに失敗したら、すぐにあきらめてしまうとしたら、それは潔さではありません。

失敗したことを素直に認めることが潔さであり、そうした心理状態であれば、かえってあきらめずに再び挑戦しようとするはずなのです。

物事を簡単にはあきらめずに再挑戦することは、決して執着ではありません。執着は自己防衛の一つの形であり、潔さとはある種の無防備さなのです。

この世界は、何という学びの宝庫なのでしょう。どんなに馬鹿馬鹿しいことでも、理不尽きわまりない事柄でも、しっかり見ることさえできれば大切なことを知ることができます。

次期衆院選挙で、一体どの政治家に大切な日本を託したらいいのかと、本当に迷ってしまうこともあるかもしれません。

私だったら、具体的な政策などは別として、その人が自分を守ろうとしない、無防備な匂いのする政治家に一票を投じます。

その人はきっと潔さを持っているからです。このことは、何も政治家に限ったことではなくて、人を見るときの基準にもなると思います。

そして自分自身のことも、そうした基準に照らしてみることを忘れてはいけないと思います。