「見ること」、「奉仕」、「献身」、「芸術」

覚醒に至る道があるとするなら、それは次の四つの道だとハーディングさんは言っています。

それは、「見ること」、「奉仕」、「献身」、「芸術」、この四つに万進することこそが、覚醒へと誘(いざな)ってくれるということなのです。

これらのそれぞれに共通することは何かと言うと、それは私心を脱するということ、無心になるということです。

さらに付け加えるとすると、私を防衛しないということに尽きるのです。自己防衛というのは、エゴそのものであり、思考はまさにそのために利用されるのです。

「見ること」が、私にとってはもっとも容易なことです。この一年半の間、忘れない限りは、この透明な自己を見ることを続けてきています。

本当は片時も忘れずに、見ることに注意を向けることができれば一番いいのですが、どうしても忘れてしまうこともありますが、それでも淡々と続いています。

「奉仕」は、今のところ私にとっては一番難しいことのようです。これは、明示的に何かのために、誰かのために、自分の時間や労力を使うということです。

「献身」は、もっとも分かりやすい表現を使えば、帰依心のことだと思えばいいのです。全身全霊をその対象に捧げるということです。

最後の「芸術」は、その道を極めるということなのでしょうね。結局、この四つの道はいずれも人物としての自分の存在が希薄になるわけです。

そして、自己を防衛するというところから開放されて、「無」の境地に至ることになるということなのでしょう。

自己防衛の強力なツールである思考をできるだけ緩めること、防衛しないという選択肢に常に気づいて、可能な限りそれを選択するという日々を過ごすこと。

そして、最後にはそんなこともすべてひっくるめて、物語の中でのことなのだと気づいていること。そうして、その物語を思い切り楽しむことですね。