どんな情報も真実とは無関係

子供の頃、どんな疑問や質問にも的確に答えてくれる存在が一人いてくれたらどんなにいいだろうと思ったものです。

それが、その頃の自分にとっての神に相当するものだったのかもしれません。そうした存在を夢想すると、何だか安心できたのでしょうね。

今では、コンピュータとインターネットの発達によって、桁違いに物知りの友人をいつもそばに置いているのと同じ状態が実現されました。

世界中の図書館の蔵書とまではいかないまでも、それとは別の時々刻々のリアルな情報も苦も無く手にできるようになりました。

また、聞きかじりですが、宇宙のどこかにはアカシックレコード?と呼ばれるところがあって、そこには宇宙の全歴史が刻み込まれて保存されているらしいとのこと。

私の身体には今何本の毛が生えているか?なんてことも書いてあるっていうことなんでしょうか?それは本当に恐れ入ります。

けれども、そうした情報というのは一体何の目的なのかということも一度は考えたほうがいいように感じます。

なぜなら、情報としての知識を利用するのは、思考以外にはないからです。思考だけが、そうした情報を食べて肥えて安心したいのですから。

そんな情報がいくらあったところで、真実とは何の関係もありません。真実には情報などありません。情報は、真実という源泉から流れ出てきた現象の一部であるだけだからです。

人類が、とうとう宇宙のすべてを解き明かしたとしても、あらゆる事象のすべてを解明できたとしても、それ自体が真実であるということではありません。

そうした理解は思考の産物だからです。そんなことを期待する前に、きっとすべての人が自分の本質に気づくときがやってきてしまうのだと思います。

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