昨日のブログでは、心の癒しが進んでいく過程においては、心理的自己防衛が少しずつ小さくなっていくというお話しをしました。
私たちの苦しみの原因とは、自分を何とかして守りたいという強い欲求、つまり心理的自己防衛にあるのです。
そうした自己防衛には必ず、自己犠牲が付いてまわるからです。自分を守って、一過性の安心を得ようとするために、無邪気な自分の欲求を抑えてしまうのです。
幼いころに作り上げてしまったその自己防衛の影響下にいつまでもあり続けると、その人の人生はボロボロに破壊されてしまいます。
無邪気な自分と、自己防衛しようとする自分とのバランスが崩れてしまうと、いつかは鬱的な状態がやってくることにもなるのです。
自己防衛を小さくしていくことで、そうしたアンバランスを減らしていくだけで人生はがらっと様相が変化してきます。
さて、ここまでは昨日の補足のようになってしまいましたが、一方でこうした癒しが進んでいくという見方とはまったく異なる大切な視点があります。
それは、癒しを進めていく自分はエゴそのものだという見方です。そしてそれは、実際にそうに違いありません。
なぜなら、それは結局自分という個人をもっと何とかしてよりよくしていきたいという思いだからです。今の自分に満足しないというのがエゴの本性です。
このエゴの癒しとは本質的に異なる癒し、それは私たちの本質を見抜くという方法であり、それは進歩するという類のものではありません。
個人としての自分が癒しのどのステージにあろうとも、そんなことには一切関係なく自己の本質には気づけるからです。
どちらの癒しもとても大切ですので、どちらか一方だけに過度にはまり込むことのないようにできると、理想的ですね。