何も知らないという自由

世のなかには、意外性のある人っていますよね。たとえば、筋骨隆々の逞しい感じの格闘家が、小さな虫が怖いとか、光明を得た人の身体が不健康だったり…。

なぜそうしたことを意外なことと感じるかと言えば、それは私たちがある先入観を持って物事を見ているからにちがいありませんね。

そしてその先入観が何処から来るかというと、それはこれまで私たちが経験した情報の中から、最もありそうなことを勝手に想定してしまうのです。

さらに、なぜそのような想定をしてしまうかと言うと、私たちのマインドはなるべく物事を知っていることにしたいという特徴を持っているからです。

そのことなら、きっとこうに違いないと思うほうが、恐怖が小さくなるのです。マインドにとって、知らないという状態は危険なことと感じるということです。

ところで、瞑想をしていると、自分は何も知らないということに気づくときがやってきます。それは本当に驚くべきことなのですが、そして最初は恐怖も感じるかもしれません。

けれども、そのうちには、その何も知らないということに、何とも言えない深い安堵を感じるようになってきます。本当は、何も分からないのだということに気づくと、心の平安を感じるのです。

そして完全に何も知らないということを受け容れると、これまで獲得した知識とは全く別のもの、手に入れることのできないもの、ずっと在り続けているものに気づくことになるのです。

それは知識のような対象物ではなく、主体である我々自身なのですね。何も知らないということを徹底的に体験すれば、マインドはもたないでしょう。

そのうち、崩れ落ちて行くことになるはずです。それこそが本当の自由ということですね。

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