究極の不安の原因とは…

あなたの心の中に不安があるとするなら、その不安はどこからやってくるのでしょうか?その根本的な原因を知ろうとしたことはありますか?

大抵私たちが知っている不安の原因とは、経済的な不安であったり、健康上の不安であったり、人生の未来に対する全般的な不安であったりするのです。

勿論それ以外にも無数の不安の材料がありますが、そのどれをとっても実は後付で作られた不安感なのです。だからこそ、その一つひとつを安心に変えることができたとしても、またすぐに別の不安材料を見つけてしまうのです。

個別の不安を何とかして安心に変えようとする人生を、どこかの時点でしっかりと見直すべきときがやってきます。そして、それらの不安の根っこには何があるのかを探ることです。

その不安の大元は、自我が芽生えた頃の自己イメージに原因があるのです。自分のままではいけないのだという、理不尽な思い込みが作られることによって、漠然とした不安が残ることになるのです。

自分という存在への不信感とでも言えばいいのでしょうか?マインドの中に、存在否定が忍び込んできたために、ただここに居るということ自体が不安となってしまうのです。

その不安感を払しょくしてあげるためには、できるだけ多く自分を受け止めるということを繰り返すことです。可能な限り、思考を使わずにただただ愛を持って受け止めること。

それだけで、長い間謎だった不安感が減少していくはずです。けれども、それだけではまだ本当の意味での不安をなくすことはできません。残念なことに、不安は自我がある限りは消えないのです。

なぜなら、不安の究極の理由とは、それは私たちが自分とは本当は何かを知らずにいることからやってくるものだからです。自我とは自分の本質ではないからです。

自分のことを本当に知らずにいて、安心していられるはずなどありませんね。自我という仮面の奥に隠された自分の素顔と対面するまで、不安がなくなることはないということを憶えておくことです。

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