元旦にする夢のない話し

一年の計は元旦にありというけれど、そういう時には何か夢のある話しでもすればいいのにと思うのですが、やっぱり夢のない話しをすることになってしまうようです。

夢や希望がないということは、未来に対してどんな期待もすることができなくなるということで、それは未来そのものがなくなってしまうのと同じことです。

未来がなくなってしまうと、目的地(ゴール)とか、目標といったものも設定することができなくなりますね。なぜならゴールとは未来にのみあり得るからです。

つまり、未来がなくなるとどこへも進んで行く場所がなくなってしまうということ。行き場がなくなるとどうなるのかというと、それまで外にばかり向けていた注意を内側に向けるようになるということ。

内側をただひたすら見るということは、できることといったらただそのままの、あるがままの自分を見るということになるのです。

仮にどれほど価値がないように見えたとしても、それを何とか改善して価値ある自分にするための未来がないのですから、それをそのまま受け容れることしかできなくなるのです。

あれ、そうなったら今まで求めても求めても到達せずにいた理想の自分などは、そもそも不要だったと気付いちゃうことになるのです。

なぜなら、受け容れるということは不足がないということだからです。なんだ、未来があるからこれから先何とかなると思って、希望を持って頑張っていたことがすべて逆効果だっただなんて…。

そう気づくことになるのです。夢や希望のない話しは、実はものすごく本質をついているってことですね。そして、エゴはいたたまれなくなって、自然と落ちることになるでしょう。

お腹が空いたら食べる、眠くなったら寝る。このシンプルさには、エゴは到底もたないでしょう。私の中で、何かがシンプルはいいけど、現実にはまだ無理と叫んでいるのがいるようです。

まだって、じゃあいつならいいの?と聞くと、う~んと黙ってしまって話題を変えたいようです。