内側と外側は一つもの

今この瞬間、感じていることをとりとめなく書くと、外側の何かを見るときに自動的に思考を伴っているということ。その思考が、見ているものを客体として判断しているのです。

その思考によって、見ている主体としての自分と、見られている客体としてのモノを分離させているということに、どうやらなっているらしいです。

もしも思考を排除した状態で同じように外側の何かを見ると、見えているものがターゲットとしてのニュアンスが微妙になってくるのを感じます。

結局、主体と客体の違いが分からなくなるってことなんでしょうね。分からないのではなく、元々そうした違いは実在していないということなのでしょう。

そうなってくると、自分の内側と外側という区別が崩壊していくのが分かります。内側と外側は連続であり、一つものだということ。

我が消えるのと同時に、汝も消えてしまう…。

短い間だけど、すべての物語性も消えて、至福だけになる。書けば書くほど、表現しようとすればそれだけ遠ざかるってこのことなんですね。

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