「恥ずかしさ」が生き辛さを招く

小さな時から人一倍感覚が鋭かったりすると、いろいろな不具合や生き辛さのようなものを感じることになるのです。

たとえば、物凄く「恥ずかしさ」の感覚を強く持ってしまうと、あっという間に大切な無邪気さを失うことになってしまうのです。

これを言ったら恥ずかしい、こう思ったら恥ずかしい、こんな感じで何をするにも恥ずかしさが付きまとってしまうために、大抵は自己表現が抑えられてしまいます。

恥ずかしさは、子供なのに大人のような振る舞いをさせてしまうかもしれません。親は、道理をわきまえたいい子だと思うので、問題とは思わないのです。

学校でイジメにあったとしても、お母さんには決してそのことを言わずにいて、全部その子の小さな胸の中にしまいこんでしまうのです。

誰かに助けてもらいたい、誰かに抱きしめて安心させてもらいたい、そういう素直な気持ちも丸ごと恥ずかしさのために隠すことになってしまうのです。

甘えることも恥ずかしい、駄々をこねたりする子供っぽい自分を出すのも恥ずかしい。こうなってくると、大人になっていずれそのツケが回ってきます。

つまり、自分のあるがままをひた隠しにしてきたために、それが逆襲してくることになるのです。そこに子供らしい無邪気さも加算されるので、本人としてはひどく困ることになるのです。

自分の人生を顧みて、ずっと恥ずかしさがあったなという自覚があるのでしたら、今からでもその恥ずかしさから逃げない練習をすることです。

恥ずかしさとは、自分を否定されることの恐怖なのです。実際には、誰も否定などしないということを理解すれば、クセのように逃げ回ってきた恥ずかしさを正面から見ることができるはずです。

実践していくうちに、恥ずかしさとはある種の幻想、作り物だったと気づくことができるはずなのです。試してみて下さい。

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