真に知るとは?

内面に沢山不安を抱えている人ほど、何とかして安心しようと頑張る傾向があります。そして、安心を求める人は、探究するよりも答えを探す傾向も強くなるのです。

なぜなら、探究することは骨の折れる仕事だからですね。一方、誰かからそれなりの答えをもらうなら、非常に安易に安心を手に入れられると感じるのです。

本を読んで知識を増やすことや、誰か権威のある人の言葉を真に受けて、それをただ取り込むことは、すべて信じる作業に他なりません。

手っ取り早く答えを求める人は、大抵が信じるか信じないかのどちらかになるのです。信じてしまえば、これ幸いとばかりに答えが手に入って、表層レベルの安心感を得るのです。

その反対に、疑い深くもなるために、信じないということも多くなるはずです。○○教の信者というのは、そのような人たちの集団だと言えます。

ただ言われたことをむやみに信じ込んで、それ以外のものはすべて信じようとせず排除するのです。どれほどそれを続けたとしても、安心を手にする事はできません。

信じることと信じないことは、同じ一つの防衛の表と裏の関係にあるのです。人から聞いたことや、得た知識に頼ろうとせず、常に問いかける状態にあること。

その問いかけこそが、信じることでも信じないことでも、そのどちらでもない純粋な探究に繋がるのです。子供が無心に問いかけるのは、そこに否定的な疑いというものがないからです。

答えを求めることを慎み、代わりに労を惜しまず自ら体験すること。そのような態度でいることでしか、真に知ることはできないということです。

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