一般的に言えば、私たちの誰もが恐れているのは、死ぬということです。死に対する恐怖が根っこにあって、それから逃れるために自己防衛をしてきたのです。
けれども、実は死について知っている人もいないわけで、本当に全く知らないことに対して恐怖を覚えることはできないはずなのです。
未知のものへの不安というのは理解できますが、激しい恐怖というものはそこには感じることはできないのです。それなら、一体全体死への恐怖の正体とは何なのか?
いくつか考えられるのですが、死から連想することの一つとして、病気になって苦しみ抜くというものがあるはずです。つまり、病気や怪我による苦しみに対する恐怖ですね。
これはかなり根深いものがあるはずです。なぜなら、自分以外の誰かが死に行く時に、そうした姿というものを繰り返し見せられてきた歴史があるからです。
つまり、社会的な経験です。そうした人類レベルの無数の経験が、私たちの記憶の奥深くに刻まれて残っているということなのでしょうね。
そしてもう一つは、死によってこれまであったものをすべて失うという、いわゆる喪失に対する恐怖というものがあるのでしょう。
まがりなりにも生きてきた自分の生を奪われてしまうという恐れ。辛くても馴染のあるものを 取り上げられてしまうことへの恐怖があるのだと思われます。
ただし、よくよく考えてみればその喪失感を味わう自分自身が消えていなくなるのですから、本来何の問題もないわけですね。
そうなると、未知のものだから怖いということもない、喪失を怖がる自己がいないのだから、それも問題なし。となると、やはり苦しみへの恐怖が一番大きいのかもしれません。
そんな苦しみも、一過性のものであって、寄せては返す波のようなものに過ぎないのですから、それほど恐れる必要もないのだろうと。
結果として、死にまつわるどんな恐怖も、実は大したことはないということに気づけば、もっともっと気楽に生を楽しむことができるようになるはずですね。