印象を持ち歩かない その2

昨日のブログのつづきです。

何ということもない、「ピザ」という単語を10回言っただけで、それが印象に残ってしまい、そしてその印象が知覚を歪ませてしまうということを書きました。

記憶の中に残された印象というものは、厳密に言えばその瞬間にだけ通用するものなのです。それなのに、私たちはその印象をその後の知覚と共に利用してしまうのです。

それが知覚の歪みを起こすということです。幼い頃に歩いた道に、何十年ぶりに戻ってみたときに、あれこんなに細い道だったっけ?と感じた経験をした人は多くいるはずです。

過去のその瞬間の印象はその時のものなので、それを流用してしまえばそのような違和感となって顕われて来るのは当然のことですね。

印象とは、それを体験してしまえば、すぐに過去のものとなってしまうのです。つまり、印象とは過去だと言えるわけです。だから、印象を持ち歩くということは常に過去の影響化に置かれた人生を生きることになるのです。

それが自我のまさにやっていることなのです。自我は自己防衛をするために、あらゆる印象をいつまでも持ち歩くのです。だからいつも古臭い毎日を送るのです。

その一方で、防衛を小さくしていくと、あらゆる印象はその瞬間瞬間に成仏していくのです。執着が小さければ、印象も消えて行きやすくなるのです。

だから常に新しい新鮮な毎日を送れるようになるということです。最初の内、パートナーは輝いて見えていたものが、そのうち古臭く感じてしまうとしたら、それは印象を持ち歩いている証拠です。

印象をドブに流してしまえば、いつもあなたのパートナーは生き生きとした新しい印象の人物となって見えて来るはずですね。

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