無思考は非二元

人との関わり合いの中で、自分のエゴが一番使われない時というのはどういう時かと考えてみると、それはやはり相手を受け止めているときだと気づきます。

思考を使わずに、その時の相手のありのままを受け止めるのなら、エゴは小さくなってしまうのです。勿論一時的なものではあるのですが…。

エゴが活躍するためには、思考が活動していることが前提なのです。だから、相手に対して賛成や反対、肯定や否定、そのための判断も裁きもしないでいるなら、それは思考が使われないときなので、エゴは停止するのです。

相手の言っていることに賛同するなら、賛同している自分の意見がそこにはあることになるので、受け止めるのとは全く違うと分かります。

たとえ相手を肯定しているとしても、同じようにしてそこには思考が働いているのです。だから、肯定と言う思考はいつでも否定にひっくり返るチャンスを狙ってもいるのです。

だからこそ、相手を褒めることも受け止めることとは全く違うのです。人に褒められて喜ぶ人は、けなされるという危険を見抜けない人なのです。

何かを褒めてくれた人は、いつけなす側に回るは分からない人だと思って間違いありません。褒めるための判断基準が変わってしまえば、いつでもけなすことも可能だからです。

結局、思考は常に二元性の世界にいるので、表があれば裏がくっついてくるということ。だから、肯定も賛成も褒めることも不必要なのです。

それに対して、あるがままを受け止めるときだけ、対極がないのです。つまり非二元ということなのです。思考がなければ、私たちは常に非二元の世界にいることができるのですね。