特別な「私」という存在は不可能

私たちは、自分が知覚することが可能な範囲のスケールに反応するのです。けれども、考えてみればそれはかなり勝手な歪んだ見方をしているということに気づけます。

例えば、科学は今や物質というのも実はエネルギーの一つの形態でしかないということを突き止めています。量子のレベルでみれば、すべてはエネルギーなのです。

物質的な側面では粒子として、またエネルギー的な側面では波動としての顔を同時に持つ、それが量子です。つまり、この宇宙のあらゆるものは一つのエネルギーが様々な形態として顕われたものに過ぎないということ。

地球上のすべての生物は、我々人間も含めて太陽の光と熱によって生かされています。太陽が冷えてしまえば一瞬にして、私たちの生命は消えてしまうのです。

それは太陽と我々が非常に有機的に結びついているということを物語っています。自分の身体の中にある細胞と細胞も同じように互いに有機的に結びついています。

距離が近いために、それらの細胞のすべてを自分自身だと認識しているだけで、遠く離れた太陽も自分自身だと捉えてもいいはずです。太陽は日常の私たちの見ているスケールと違うだけなのです。

肉体という一つの身体の中に納まっている自分があって、それ以外は自分ではないという知覚が、思考による間違いだったと見抜く必要があるのです。

この宇宙のすべては、一つのエネルギーの多面的な表現であり、それらは当然のことながら有機的に結びついて分離することはできません。

その中に、特別な「私」などという存在は不可能なことですね。