他人という名の鏡の使い道

先日のブログで、鏡についてのことを書きました。言いたかったことは、鏡に映った自己像を自分の存在としては見ないということです。

鏡が映し出すあなたの姿とは、他人から見えるあなたの表層でしかないからです。本当のあなたとは、誰からも見ることのできないあなたの内面深くにこそあるからです。

実は私たちは、他人を鏡として使っているのです。その用途は、二つあります。一つは、自己イメージの蓄積です。これは特に幼い頃に行うのですが、大人になっても細々と続いていくものでもあるのです。

私たちは、自分に対する相手の態度、相手のしぐさ、相手の表情、相手の目の奥にあるものなどをゲットして、それを自己イメージとして使うのです。

相手は必ずエゴを持っているため、その鏡は非常に歪んでいて、相手が見たものをそのまま映して返すことは決してないにもかかわらず、一生懸命返された印象を自己イメージの一つとして積むのです。

だから自己イメージはすべてが虚構から成り立っているのです。これは本当に驚くべきことなのです。それなのに、私たちは自己イメージを固く信じて生きているのです。

そして他人という名の鏡のもう一つの用途ですが、それは自分自身をその鏡に映し込んで見るのです。これを投影などと呼びますね。

相手を見ているつもりなのに、実は自分の姿をその鏡に映してしまっているのです。言ってみれば、あなたが見ている世界は、あなたを中心とした鏡の世界だと思えばいいのです。

無数の鏡が、あらゆる角度からあなたを反射してあなたに見せつけているのです。何のことはない、あなたはただこの世界に自分の姿を見ているというわけです。

鏡の世界から抜け出して、真にリアルな世界を生きるためには、あなたが持っている自己イメージをすべてゴミ箱に捨てて、あなた自身が完璧な鏡として世界をあるがままに映すようになることですね。