先日このブログで、ピアノで是非弾きたいと思う曲があると、頑張って練習することがかつてあったということを書きました。昔の話しですが…。
勿論、練習すれば弾けるようになる可能性のある曲に限るのですが、そうしてまあまあ弾けるようになったなと思うと、弾くのをやめてしまうのです。
その理由を少し考えてみたのですが、最初はただ単純にその曲を弾きたいと願って練習を始めるのですが、気が付くと、その曲が弾けるような「自分になりたい」にすり替わっていたように思うのです。
しっかり自分を見つめないでいると、この二つの違いに気づくことはなかったかもしれません。そして、私たちはどうも学校や社会から後者の方を奨励されてきたようなのです。
つまり、練習する原動力として、ただ弾きたいという単純なものよりも、弾けるようになったより優秀な自分を目指していくことにこそ価値があるのだという教育です。
これこそがエゴの発想ですね。この社会はエゴが作ったものなので、よりよい人物、より有能な自分になることが素晴らしいことだと教えるのは当然のこと。
それが裏を返せば、今のままの自分に甘んじていてはいけないという向上心へと繋がることになるのです。それが悪いというわけではありません。
ただ、それだけで生きていくなら、決して心から満たされるということがないということにも、気づくことが大切なことなのですね。