探究に必要となる誠実さ

信じることはとてもたやすいし、その逆で信じないことも同程度にたやすいのです。信じるか信じないかは、まったく同じコインの表と裏のようなものです。

どちらも、どれほどの探究心も含まれていないという意味において、両者は同じもの。真実を本当に知りたいというのなら、どちらからも離れる必要があります。

それには、まず自分が本当に知っていることと、外部から聞いた知識とを明確に判別することから始めることです。その両者は天と地ほどの違いがあるからです。

知識とは、信じるか信じないかの範疇に過ぎません。例えば、地球は丸いというのは知識であって、本当に知っているわけではないということ。

地球が丸いという情報があるということは知っているけれど、その内容の真偽は信じているに過ぎないのです。そのことに気づくことです。

そうすると、自分はほとんど何も実は知らないということにぶつかるのです。そうなったらチャンス到来です。そこから本当の探究を開始できるからです。

それこそが、探究に必要となるある種の誠実さだと言えるのです。知るということは、それ自身になるということしか残されていないのです。

だから真実を知りたいのなら、自らが真実であることに気づく以外にはないということですね。