鏡の中の自分は、外側の世界の住人

以前にも何度か書いたことがあるのですが、鏡を見ない生活になってからもうどのくらいが経っているのか分かりませんが、ほとんど支障はないのです。

勿論、風呂上がりにドライヤーで髪を乾かすときには、鏡を使うのですが、そのときも自分を見るというよりは、髪型を整えるために鏡を使うだけなのです。

したがって、それ以外は自分の外見を垣間見ることもないという毎日を送っています。そんな中、ごくたまに服を買おうとしてお店の試着室に入って、鏡に映る自分をまじまじ見ることもあるのです。

そのときのちょっとしたショックは、あまり人には言えないものです。というのも、自分はこんなはずではなかったという驚きと落胆?が押し寄せてくるからです。「あいつ、絶対自分じゃない!」という思い。

そのために、服自体を気に入っていたとしても、それを買う気持ちが一気に失せてしまい、結局は手ぶらで帰って来るということが本当にあるのです。

自分の外見を一日に何度かチェックしていた頃のまま、自分の外見への勝手なイメージが止まってしまっているということなのでしょうね。

ということは、10代とか20代の頃のままのイメージが残っているということです。そのイメージを密かに抱きかかえたまま生活しているのですから、結構笑えます。

で、本当に思うのは、鏡の中の自分は外側の世界に生きている自分だということ。それがどれほど年老いたとしても、真実の自己は不変だということ。

残存しているイメージすら無縁である透明の自己こそが、本当の自分の姿なのだということが分かって、とても安心しているのです。