エゴが瞑想を妨害するわけ

深い瞑想状態では、マインドから離れることになるのですが、そうだとすると人間の死も、マインドから離れるという点においては両者は一致するのです。

深い瞑想状態は、身体がありながらもマインドから離れることだし、死は身体の死と同時にマインドから離れるという違いがあるだけです。

ということは、深い瞑想状態を何度も経験している人は、人間としての死の経験を死ぬまえに経験していることにもなるのです。

だからこそ、瞑想者は死を殊更恐れることがなくなるのですね。マインドから離れることに、死の前に慣れてしまうからなのです。

そういう意味では、実際瞑想とは一時的に死ぬことだとも言えるのです。勿論肉体は生きているので、戻ってくることになるのですが…。

そして瞑想とは別に、マインドから離れるだけでなくて、そのマインドが二度と活躍しなくなってしまえば、それこそが覚醒するということなのです。

マインドの中に棲んでいるエゴはそれをとても恐れているわけです。それこそがエゴの死を意味するからですね。だからこそ瞑想の妨害をいつもしてくるのです。

なかなか深い瞑想ができないなと感じているなら、エゴが死にもの狂いで妨害しているに違いないということを覚えておけば、エゴも可愛く見えてきますね。