見られることの居心地の悪さ

私たちの誰もが、様々な苦しみや悩みなどを必ず持っていますね。子供の頃は比較的単純だったかもしれませんが、大人になればそれなりに複雑な苦悩を抱えたりします。

ただしどんな苦悩であれ、そのほとんどは、人から見られる自分がいるという思い込みから派生したものだと言っても過言ではありません。

学生の頃、電車に乗ると向かいの席の人たちと対面していることがどうにも居心地が悪くて、ずっと目を閉じていたこともありました。

それで濃い色のサングラスをかけて、誰とも目が合わないようにすることで、とても楽になった記憶があるのです。そこには見られる恐怖があったということです。

自分の目を他人から見られるという恐怖があるということですね。この恐怖のせいで、生活全般がぎこちなくなったり、自然体でいられない状況が続くと具合が悪くなるのです。

目を見られると、自分の心の奥までなぜか見透かされているような気持ちになるのです。少しでも隠したい内面があれば、当然不安を感じるわけです。

不思議なことに、自分が非常に興味を持って対象を見ている時だけは、見られていることを重く感じないで済むという傾向があるのです。

恐怖よりも興味が上回るからなのかもしれません。だとすると、周りにあるものにあまり興味を持つことができなければ、人の目がいつも気になることになりますね。

解決法は…、やはり「私」という存在は思い込みに過ぎないという深い理解によるのでしょう。見られる対象としての「私」が存在しなければ、そこにはどんな恐怖も不安も発生することはないのですから。

自分の本質は意識であって、身体でもマインドでもないという揺るぎない気づきがやってくれば、人と対面したり、見られるということが不可能なことになるのですね。