マインドという歪んだ鏡

どんな判定もなしに
ただあなた自身の内に坐り
そして眺める
何を見ることもなしに眺めること
眺めれば眺めるほど
見出すものは少なくなるものだ
深く目をやればやるほど
思考は姿を消す
ひとたびこれを知ったなら
鍵はもうあなたの手中にある

by osho

なにかを見ようとせずに眺めるとはどういうことか?私たちは、視覚から入ってきた情報を解釈するクセがついてしまっているのです。

そのクセに気づいて、視覚情報を解釈せずにただ見るようにするということです。だから、眺めれば眺めるほど、見出すものは少なくなるのです。

つまり、どんな解釈、判断もせずにただ見る、眺めるなら、そこに物語性を見出すことがなくなっていくと言っているのです。

私たちの判断、解釈こそが物語性を生み出す張本人だからです。自分の周りには元々どんな物語も存在していません。

ただ眺めていることができるようになると、このことに気づけるようになるのです。それはすなわち、思考が姿を消していくことになると言っているのですね。

このことを深いレベルで理解することができるようになれば、すべてを投影するマインドがなくなっていくのです。

投影することがなくなれば、私たちの内面はピカピカの鏡のように、ただ周りにあるものをあるがままに映し出すようになるということです。

マインドという歪んだ鏡によって、自分に都合のいい物語を日夜映し出しているのが、私たちの人生だということです。