仏教は言う、見守りなさい!と。生のあらゆる瞬間を、注意深さにおける体験にするがいい。苦痛も快楽も何もかも、愛も憎しみも何もかも、善も悪も何もかも。見守りつづけなさい。ひとつの風味をあなたの存在に広めなさい。すると、人は両極の中間にあって、完全にバランスが保たれるようになる。
by osho
どれだけ実践できるかどうかは別として、結局自分にとって最後に残ること、一つだけ伝えたいことがあるとするなら、↑これなんだなと…。
えっ?じゃあ私は仏教徒ってことか?と思ってしまうのですが、誰かが作ったいわゆる宗教にはまったく興味がありません。
「ただ、見る」ということ以外には何もないのです、以上!で終わりにしてもいいのですが、それだと分かりずらいのです。
だから、やれ瞑想がいいとか、そこそこ癒しをする必要があるとかの話しになるのですね。要するに、見守ることで物語から抜けることができるということ。
瞬間瞬間の注意深さは、ストリームである物語の中に巻き込まれずに済むのです。ストリームは時間であって、瞬間は時間ではないからです。
けれどもその注意深さを長続きさせるためには、ある程度の癒しが必要なのです。瞑想する余裕がなければ、すぐに思考(物語)に丸め込まれてしまうからです。
ずっと目を閉じて孤りで瞑想しているような人生は稀です。だから、日々のごく普通の人生から逃げずに、見守ること。これが究極なのですね。