宗派に興味がない

仏教の経典が7000もあると聞いて、本当なの?と思わず疑ってしまったのですが、それこそが沢山の宗派を生み出した原因らしいですね。

つまり沢山あるお経の中で、どれが一番大切なことを言っているのかということで意見が分かれてしまい、そこから宗派が生まれたのだとか。

私などは家の宗派が何だったのか、父親が死んだ時に初めて知ったくらいなので、全く偉そうなことを言える立場ではないのですが。

それでも少し口を挟みたくなるのは、元々お経の内容がどれほど有難いことが書かれていようと、それは真理そのものではないのです。

真理は思考(言葉)で表現することなど不可能だからです。それが分かっていたなら、少しぐらい好みが違ったからと言って宗派を作るのは解せないのです。

私だったら、あの高僧のところで修行がしたいとか、あのお寺では沢山の弟子が覚醒しているなどでお寺を選ぶのであれば、充分にありだなとは思うのです。

お経をどれほど繰り返し唱えたところで、覚醒に導かれるとは思えないのです。メジャーなほとんどの宗教はそれぞれの教典を持っています。

それがどうも私には合わない感じがしますが、皆さんはどうですか?