自我である「フリ」を見抜く

私たちは日頃、あらゆる「フリ」をしています。元気なフリ、疲れたフリ、あるいは善人のフリ、良い子のフリ。

かつて会社員だった頃、会社の業績をアップさせることに興味があるフリをしていたことがあって、それは病気を生み出しました。

思い出すと恥ずかしいですが、頑張っているフリ、本当はやる気がないのに前向きなフリもしていたことがあります。

こうした「フリ」を繰り返していると、少しずつ病んできます。自覚があったとしても、健康にはなりませんね。

そして怖いのは、自覚することができない「フリ」です。知らず知らずのうちに、何かしらのフリをしていると、その病みはずっと大きなものになっていきます。

さらにいえば、私たちが最も大きなエネルギーを使って継続的にやっているフリは、自我であることのフリなのです。

誰それという名前を持ってこの社会で生きているという個人としてのフリですね。このフリを見破ることは難しいです。

けれども間違いなく自我のフリをしているのです。ほんの少しの間であれ、自我が落ちているときには、はっきりとした体験として気づくことができます。

ではフリをやめたとき、本当の自己とは一体何?という疑問がやってきますが、その答えは実際の体験によって確かめられるといいですね。